おばあちゃんのお茶

今週のお題「好きなお茶」

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40年くらい前の話ですが、私が子供の頃、自宅で飲むお茶は自家製でした。40年前の田舎町といえども、一般的には、お茶といえば買ってくるもので、自宅で作っている家庭なんてウチくらいのものでした。そのことが、私には貧乏の象徴のように思え、小学生だった私は、それを、友達に言えず隠し続けていました。友達に冷やかされるって それだけで嫌なことですが、さらに家族に関係することだったりすると。もう、耐えられないレベルの苦痛でした。

 

考えてみたら自家製茶なんて悪いことじゃないし、今時なら、エコでスマートなSDGsな奥様方達から「まぁ、お手製のお茶なんて素敵」なんて、とびっきりの笑顔でお褒めいただくような感じかもしれませんが、当時、私はそれをとてつもなく恥ずかしく思っていました。

都会的な生活こそが素晴らしく、正しいものって思っていました。

 

ある時、家庭科の授業だったと思うのですが、自宅で飲んでいるお茶がどういったものかをそれぞれが発表するという、酷な課題がありました。自宅で飲んでいたお茶の色は茶色だったですが、自家製だとバレたくなかったので、よくTVで見るような緑のお茶であると嘘をついて、その場を乗り切りました。その嘘がいつかバレるんじゃないかって、1年くらいはビクビクしていた記憶があります。お茶ごときでと今なら思いますが、当時からいじめの問題は大きく、ちょっとしたことでいじめが発生することは身に染みてわかっていました。その構造は、いくらか違う形になってきているかもしれませんが、今でも大きくは変わっていないのではないでしょうか。自宅でお茶を作っているというような小さな事でさえ、他の人と違うところがあると、それをネタにいじめられるという事が十分ありえるというのは小学生ながら敏感に察知していました。自意識過剰といえばそうなのですが、自分を守るための策を、ない知恵絞って、自分なりに講じていとう事だったのだと思います。

 

ですが、そんな事情は家族は知るよしもなく、毎年、お茶は作り続けられていました。

 

お茶を作るため、裏庭の石垣に植えてあったお茶の木から葉を摘み始めるのは、田植えが終わった5月終わりくらいからでした。

お茶作りは、おばあちゃんが担当していました。お茶の葉を摘み終えると、おばあちゃんは竈に火をくべ、釜で大量のお湯を沸かし、摘んできた葉を蒸していました。真っ白な湯気の中で作業しているおばあちゃんは、ちょっと幻想的でもありました。葉っぱが蒸されると、日当たりの良い廊下に敷かれたゴザの上におき、おばあちゃんの節くれだった手でお茶の葉は揉まれていました。ゴザが藁で編まれた古いものであったからかもしれませんが、その時、少し古臭い柔らかな匂いが廊下を浸していたのをよく覚えています。揉まれたお茶の葉は、晴れた日は天日干しで、梅雨の雨時には廊下に置くようにして位置を変えつつ、おばあちゃんは、何日か小まめに丁寧に世話を焼いていました。干す作業が終わると、竈に大きな鍋を置いて、そこでお茶の葉を煎っていました。

その時の火の焼ける匂いと お茶の焦げた香り。

香ばしい なんとも言えない良い匂いが家中を覆っていました。お茶の葉を鍋で回しながら、水分をすっかり飛ばしたら、それをお茶専用の缶に入れて、お茶の出来上がりです。香りは市販のお茶には勝てるものではありませんでしたが、棘がなく丸みを帯びた、おばあちゃんの味は飽きのこないものでした。

 

私が進学のため実家を出て東京に出てゆく時、おばあちゃんは自家製茶を私に持たせそうようとしました。しかし、都会的な物にかぶれにかぶれまくっていた私は、お茶よりコーヒーや紅茶がカッコ良い飲み物だと思うようになっていました。ましてや自家製のお茶なんて、ダサさの極みくらいに思っていました。なので、おばあちゃんの好意を足蹴に自家製茶を持っていくことを断り、簡易ドリップできるマグなどを買って「これで俺も都会人だぜ」などと悦に浸っていました。優しさを受けることよりも、カッコつけることを優先したのです。

あの時の、私がお茶を受け取らなかった時のおばあちゃんの顔。その顔さえ、当時、私は疎ましく思っていました。私はなぜ受け取らなかったのか。若さといえばそれまですが、家族の気遣いよりも自分のことだけを優先していたのです。ダメ人間の極みでした。

それが、時を経て、今、お茶を買うときには、おばあちゃんが作ってくれた あの時のお茶に似た味のものを選ぶようになっています。

不思議なものです。

 

元気だったおばあちゃんも色々なことが出来なくなり、自家製茶が おばあちゃんの手に負えなくなると、実家でも、お茶はスーパーなどで買ってくるものとなりました。お茶の木はいまだに残っているものの、おばあちゃんの自家製茶の作り方を継承しているものは家族にいません。

おばあちゃんも亡くなり、作り方はもはや聞くことはできません。大袈裟に言えば、失われた技となってしまいました。

私がさらに歳をとり、自分の時間が十分に取れるようになったら、自分なりのやり方で、いつか お茶を作ってみようかと思っています。考えてみれば、おばあちゃんも、試行錯誤しながら自分のやり方で身につけたのかもしれないですし。もしかしたら、おばあちゃんの苦労、思い、楽しみを追体験できるかもしれないと思っています。

 

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