フリーランスになるための心構え

フリーランス」の反対語は「サラリーマン」かもしれません。

 

ある時、母の前で「フリーランスになろうかな?」と呟いたら、

「あんた、無職になるんかい?」

といかにも深刻そうに、小声で心配されました。

どうやら、「フリーランス」と「フリーター」を取り違えていたようで。

それに「フリーター」だとしても非正規雇用として働いてるわけで無職じゃない。

間違えだらけで、どこから説明して良いやら途方にくれてしまうのですが、

それだけ「フリーランス」になるってことは、全家族から、

「何のことだかはさっぱり分からないが、とりあえず反対しておこう」

と前後左右上下斜め横の全方位から集中砲火浴びるくらい

真っ当じゃない人生を歩むことを選んでいるように見えるってことのようです。

 

それは、仕事界隈でも同じようでして、

何気に先輩に、

フリーランスになりたいと思っているんです。」

と言ってみたら、その場で飲みに誘われ、居酒屋でこんこんと説得されました。

フリーランスのデメリットや、今の立場のありがたさなどの話が、

まぁ、出てくる、出てくる。

私を思ってのことなのは分かってはいますが、

その情熱は、正直なところ辟易するものがありました。

一方、先輩の話から、社会人からの目で見られている

フリーランスのイメージを実感として理解したような気もしました。

 

私は、これまで、何人かの”フリーランス”の方と仕事をしてきました。

みなさん、超個性的。

  • プリクラ活用術なんて怪しい本を作っていた編集者
  • ロン毛のWebデザイナー
  • 冬でも半袖シャツのITエンジニア
  • 横柄な同時通訳者

これらの方、やりたいことをやっているオーラが半端ありませんでした。

仕事やスタイル、考え方も千差万別。十人十色。

まさしく自由です。

その自由な感じ、キラキラさ加減はやはり憧れてしまうものがありました。

しかし、共通した特徴があるようにも感じていました。

それは、「考えるより動くタイプ」ということです。

 

Webやら本やらによりますと、フリーランスになると

確定申告、契約書作成、費用交渉などが重要となり、

必要不可欠なタスクになると書いてあります。

なるほどで、どれも大事でテキトーには出来そうにありません。

ですが、前述の人、全員が全員そうなのですが、

それらのいわゆる面倒なペーパーワークが得意そうには見えず、

むしろ不得意そうな人ばかりでした。

なんだか、本に書いてあることとは真逆のタイプのフリーランスが相当数います。

理屈としては、本業以外の面倒ごとでも苦としない人がなるべきなのでしょうが、

実際にはフリーランスを選ぶ人のタイプはそれではないようです。

どうやら、フリーランスになるには、

そんな面倒なことは忘れるタイプの方がむしろ向いていそうです。

フリーランスには「とにかくやってしまえ!!」のような勢いと

思い込みマインドの方が、なる人としては大切なのような気がします。

 

同期、先輩、後輩、友人などにも、

サラリーマンからフリーランスに舵を切った人がいます。

みなさん、スキルを持っており、それなりにやっているようです。

ですが、いわゆる大成功をおさめた人は今のところいません。

時期的に浮き沈みがあるようですが、平均するとサラリーマン並みにはやれている

という人が多いように思います。

そして一部には側から見ていて随分苦しそうな人もいます。

 

私が思うフリーランスになった人のもう一つの特徴が、

フリーランスでいることへのこだわりを強く持っているということです。

フリーランスで苦しい思いをしているのなら、サラリーマンに戻ればいいのに」

と私などは思ってしまうのですが、一度フリーランスの肩書きを持つと、

頑なにそのスタンスを守ろうとしている人が多いようです。

 

今時はフリーランスからサラリーマンに鞍替えすることに大きな障壁はありません。

むしろ、フリーランスでやっていたという独立心がうまく採用時に働くこともあります。

ですが、フリーランスの人はフリーランスであることを重要視しているようです。

私なんかは「もっと柔軟に考えればいいんじゃないの?」と思ってしまうのですが。

 

フリーランスでは、自分のやったことが比較的ダイレクトに収入に結びつきます。

それがフリーランスになるための一番のモチベーションだと思いますし、

彼らにとっての醍醐味でしょう。

ですが、サラリーマンは良くも悪くも労働と収入が一致しないという事実があります。

要は、100%の力で仕事をしようと40%で仕事をしようと給料は一緒だということです。

当たり前と言えば、当たり前ですが、

日々の仕事で手を抜いて仕事をしようとしまいと、

勤務体系を変えない限り収入は一緒です。

 

これ、ほんとにみなさんに忠告したいのですが、

この便利なサラリーマンのシステムを

利用できる人は、うまく利用した方が良いです。

特に若い時分はですが、

このハッキリとしない柔らかなシステムを鬱陶しく思う時があります。

なんだかモヤッとするのですよね。

「俺はこんだけやっているのに、なんで給料低いんだ!!」

なんて怒ったりもします。

ですが、ある面では、良いところも多いのです。

例えばです、

親が生きている限り、どこかで介護の問題が出てくる可能性が非常に高くなります。

医療が発達して、ピンピンコロリなんてことが少なくなっていますから。

介護問題が現実味を帯びる時期というのは、仕事面では定年も見えてきており、

体力的に無理が効くような年代でなくなっている頃でしょう。

その時、フリーランスだと、なかなか仕事量を調整するというのは難しいのが現実です。

仕事量が収入に直結しますから、

収入を減らしてまで介護に長い時間を割くというのは

なかなか難しい決断でしょう。

その点、サラリーマンであれば、力抜いて仕事をすることができます。

特に慣れた仕事をずっと続けているのであれば、

40%どころか10%くらいの力で仕事をすることだって可能でしょう。

 

ですが、たまに「それが出来ない」っていう人がいるのですよね。

私が知る限り、それは、「出来ない」のではなくて「しない」人なのです。

どうやら、それらの人たちは

「100%の力で仕事をなくてはならない。そうではないことは正義に反する」

くらいに思っているようです。

「仕事で手を抜いてはいけない」原理主義くらいの感じです。

どのようなスタンスであるかは、もちろんその人の自由なのですが

一言、私に言わせてもらうなら、

「周りはあなたに、そんなの求めていないし、そんなに会社に忠義を尽くしても、いざとなったら会社はあんたをゴミのように捨てるよ」

だと思っています。

私には、とても不思議であるのですが、

割と多い割合で、会社に恩義を感じ尽くそうとする人がどうやらいそうなのです。

 

あたりまですが、

会社って、法人という”人”という字は使われていますが、人じゃありません。

ただのシステムです。

別な言い方をすればバーチャルな人です。

そのバーチャル人間に義理を感じるって、私には理解できません。

ですので、良いとか悪いじゃなく、

この給料を生み出している会社というシステムは、場合によっては、

絶対、うまくしたたかに利用した方がいいです。

 

そして、私がお勧めしておきたいのは「頭を柔くしておく」ということです。

どうも一般的には、目標や目的は一本柱であるべきで、

それを変えることはよしとされていないようです。

ですが、私の経験から言えばですが、

自分の考えの根幹部分、基本理念くらいに思っているようなことでさえ、

変えたところで対外的には何も問題ありません。

そして、対外的に問題なければ、大抵のことは自身としても問題はありません。

ですから、例えばフリーランスになっとしても、

それに固執しない方がうまくやれると思っています。

色々なシステムや制度を利用して軽やかに仕事するってことが、

自由に仕事をするってことなんだろうと私は思っています。

 

そして、本当にフリーランスなりたいと思うなら、

賛成してくれそうな人のところに相談に行くべきです。

結局、相談する時って、背中を押してほしいときですから。