トマト・ハラスメント(トマハラ)

私の一番古い記憶は、母といた給食室かもしれません。

おそらく、2歳か、3歳といったところだったのだと思います。私は、母におぶわれ給食室にいました。給食室は独特の匂いがし、広く暗い雰囲気だったのですが、不思議と怖いとは思いませんでした。おそらく母を近くに感じていたからでしょう。

母は、大きな杓文字のようなものを持って、大きな黒い釜でスパゲティをかき混ぜていました。母の背中越しに見た大量のスパゲティのあざやかな赤。赤という色彩をはっきりと認識したのは、その時が初めてだった気がします。

そして、幼稚園の保育室では兄が大きな声で泣いていました。2つ年上の兄。家では、とても頼りになる兄が、幼稚園では別な顔をして大泣きしていることに、私は幼いながら心が大きく揺さぶられているのを感じていました。

 

後から聞いた話なのですが、兄が通っていた幼稚園では保護者が交代で給食を作っていた時期があったそうです。私の記憶は、かつて幼かった私をつれ、母が給食担当していた時のもののようです。

兄は牛乳が大の苦手だったのですが、幼稚園では無理やり飲まされ、いつも大泣きしていたと母が言っていました。今時なら、ミルハラ(ミルク・ハラスメント)とでも名前がつきそうな案件です。

 

兄は牛乳でしたが、私はトマトが苦手でした。というか、苦手以上に、トマトを口に入れただけで吐き気がして、口に入れるのもの苦しいくらいのレベルでした。給食メニューにトマトの名前を見つけると、それだけで一週間くらいは憂鬱になっていました。

少なくとも50代の人が児童であったときには経験していると思いますが、当時、給食というもの食物を大事にするという教育の場であり、皆が全てを食べ切らなくてはならいないという観念がありました。食べ切るまで何があっても終わることができないという、今なら給ハラ(給食ハラスメント)とでも名前がつきそうなルールがまかり通っていたのです。個性より、その手の倫理観が優先されていた時代でした。

私はトマトが給食に出ると、常に食べることに苦しんでいました。友達はさっさと給食を終わらせ校庭で遊んでいましたが、私はそれを横目に泣きながらトマトと格闘していましたが、先生は許してくれませんでした。掃除が始まっても、教室の片隅で一人、完食を強要されるという、今なら、トマハラ(トマト・ハラスメント)とでも名前がつきそうな、お仕置きまがいのことも当然のようにされていました。

しかし、あるとき、いつものように私が教室に一人残され、トマトに四苦八苦している時、うっかりトマトを落とすという失態を犯してしまいした。すると、先生は、

「そのトマトは捨てていいから、給食終わりなさい。」

と仏の言葉を投げてくれたのです。

私は、はたと気がつきました。これは使えるぞと。それからというもの、私はこの手を使い、わざとトマトを落とすという技を使って、トマト給食地獄から逃れていました。今思えばですが、私が意図的にやっていたのは、先生にはバレバレだったのでしょうが、子供のやっていることと見逃してくれていたのでしょう。

しかし、何度かやっていくうちに、どうやら、わざとやっているのが、先生はおろか友達にもバレていることに感づくようになりました。そこで、私は一案し、食べるふりしてトマトをポケットに入れてしまうという新技に身につけました。今考えると、それだって、先生にバレたと思うのですが、見逃してくれていたのだと思います。咎められることはありませんでした。私は、学校の帰り道に、ポケットのトマトを出して畑に投げ入れ、証拠隠滅と完全犯罪を成立させていました。しかし、そこは子供のやること。たまに、トマトをポケットに入れたことをすっかり忘れ、トマトを入れたままズボンを洗濯カゴに放り込んでしまうことが何度かありました。翌朝に気がついて、青くなることがあったのですが、母から叱れるということはありませんでした。トマトをポケットに入れていたことは、母も気がついていたと思いますし、「苦手なトマトを給食で食べることができなかったんだな」と分かっていたとも思います。ですが、そのことで母からも咎められたことは一度もありませんでした。あれは母の優しさだったのでしょうか。

その母も昨年、鬼籍に入りました。

 

先日、久しぶりに義姉に会いました。

会うなりの第一声が、

「お義母さんのお葬式。行きたかったんだけど、ごめんねー。」

でした。

いいんです。どちらでもいいのです。

葬儀なんて、来たい人が来ればいいと思うし、来ない人がいたところでいい。

義姉が顔を出そうとどうしようと、別にどっちだっていいのです。

ですが、どうして「行きたかった」などと純度100%の分かりやすい、つく必要もない嘘をつくのか。

聞いていもないし、聞きたくもない作り話をするのか。

その嘘がバレていないとでも考えているのか。

それとも、嘘と証明できないものは、言っていいいのだと思っているのか。

社交辞令と思っているのか。

全てが謎です。

一言、二言いいたいところではありましたが、色々な感情が押し寄せ、私は黙ってしまいました。

 

何も言わないことが正解なのはわかっています。

分かっていても、敢えて指摘をしない。それが大人というものだと思います。

ですが、理屈では そうと理解してても、思い出すと、なんとも複雑な気持ちになります。

忘れてしまうしかないのでしょうが。

 

一年前の母の葬儀には、幼稚園から中学校まで同級生だった、当時の女の子が来てくれました。私がすっかりオジさんなように、彼女も素敵なオバさんになっていましたが、目元の涼しさと相手を安心させる雰囲気は、幼い頃から変わっていませんでした。

友人たちの近況やら、昔話をしていた最中に、突然、彼女が言い始めました。

「そういえば、最近よく思い出すんだけど。君って、カレー好きだったよね。給食でカレーが出た時、体をクネクネさせながら、カレーを讃える踊りっていうのをやってたよね。あれって何だったの?」

”何だったの?”と言われても覚えてないから答えようがない。

”カレー好き?”、”体をクネクネさせて踊った?”、全く記憶にありません。

普段、そんな言葉使いをしないのですが、今こそ使う時だと確信します。

恥ずい。恥ずすぎて死ぬかもしらん。

 

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