十人十色と大同小異

高級ホテルの不必要に広い会議室でやる新商品発表とかで、黒タートルネック長袖シャツを着たスティーブ・ジョブズ劣化コピー版みたいな男が言いそうなセリフを言わせてください、

” 英語学習について、良い話と悪い話があります”。

 

まず悪い話から、

残念ながら、英語を習得するのには個人差があって、難なくマスターする人もいれば、身につけるのに苦労する人がいます。残酷な事実ですが、努力ではどうしようもありません。才能の違いと言っていいでしょう。

 

良い話は、

ネット広告やYouTubeで目にするような「1ヶ月でマスター」とか「一日10分でペラペラ」系の話は、難なくマスターできるような人がやってできた内容を結果として言っているだけです。実際には、それでマスターできない人も多数います。身に付かない人たちは単に、そのことを言わず、そっと黙って無かったことにしているだけです。もし挫折していたとしても、あなただけじゃありません。気にする必要はありません。なぜ、私がそれを言えるかっていいますと、私がそちら側の一人だからです。

 

自慢じゃありませんが、私は約30年くらい英語を本気で勉強してますが、レベルは未だにビギナークラスです。(ホント自慢じゃない)

そんな私が、英語を使えるようになったら真っ先にやりたいこと、それは、

「英語の勉強を速攻やめたい」です。

最近、英語の勉強はサボり気味なのですが、常に「勉強しなきゃ」っていうプレッシャーは何処かに感じながら生活しています。この低温やけどくらいの圧は何とも不快で、これをなんとか取り除きたいと常々思っています。

って、そうなんだったら「勉強しろよ」って話なのですが。

 

そんな、私の英語難民経験から言わせていただくと、英語学習方法というのは、どうやら十人十色のようです。例えば、二週間くらいの短期語学留学でマスターちゃう人もいれば、ひたすら単語の暗記だけで身につけちゃう人とか、ネイティブにガンガン話しかけて喋れるようになる人とか、人によって登り方が違うようです。身も蓋もないですが、どうやら、自分で考えながら自分にあった方法でやるしかなさそうです。

 

えらそーな事を言っても、未だに英語の海を遭難中の私ですが、25年くらい前は、さらに、聞き取れない、しゃべれない、理解できないって低状況でした。そんな英語レベルにもかかわらず、ある日、新製品トレーニングのため、私は上司の命令でアメリカのデンバーに突然、出張することとなってしまいました。

出張決まってからというもの不安ばかりの毎日を過ごしました。さらに、行ってみるとクラスで日本人は私一人。講師が言っていることは分かりませんし、分からないことを質問できるだけの英語力もありません。孤独でホームシックで、20代後半の男がほぼ半泣き状態でした。トレーニング施設のカフェテリアでランチするときも、唯一わかるメニューを指差しオーダーして、トレーを持って隅っこのテーブルに移動し一人で黙々と食べる有様でした。

すると、それを不憫に思ったのか、同じクラスに出席していた30代後半くらいと思われる白人女性が声をかけてきて、やたらと親切にしてくれました。食事の時は、私がひとりにならないように仲間に声をかけてグループに入るように促し、分からなそうなところがあったら簡単な英語で説明してくれ、トレーニング途中からは、すっかり彼女に頼ってしまいました。

クラスの最終日は、午前中でトレーニングが終わり午後はフリーとなったのですが、彼女は、わざわざ自分の車を出して、デンバー近辺の観光地を案内してくれました。そして、夜は、彼女の自宅に招待してくれて、彼女のパートナーと一緒にディナーをご馳走になりました。

こんな歓待、日本でも受けたことはありません。私はいたく感動してしまい、この感謝を伝えたく、帰り際、私は彼女に、

「あなたにお返しがしたいです。もし、日本に来るようなことがあったら、必ず連絡してください。私が、あなたを色々なところに連れて行きます。」

と前のめりぎみに言ったのですが、彼女は首を横に振りながら、

「そんなことはしなくていいのよ」

と言いました。

「サンキュー。その気持ちは嬉しい。だけど、そんな必要はないわ。もしやってくれるのなら、誰かが日本に行ったら、その時、その人に親切にしてあげて。もしかすると、その人も同じように、その後、誰かに親切にするかもしれない。そうやって良いことがつながって欲しいわね。それが私の願いよ」

 

どうも「おもてなし」の心というのは日本人だけが持っているものであるかのように喧伝したがる人がいるようです。ですが、当然ながら、そんなことはありません。少なくとも私調べでは、どこの国に行こうと、どの地でも親切な人で溢れています。

そして、私が、どこの国でも感じるのは、違いよりも、

「日本と変わらないなぁ」

だし、

「日本も特別な国じゃないよな」

です。

どの国にも、言葉は違えど、優しい人、怒りっぽい人、静かな人、騒がしい人などがいて、まさしく十人十色です。そういう人たちが集まっているのが国で、その意味では、どこの国だって違いはありません。大同小異です。

 

こう考えてきたら、「もしも英語が使えたら」やりたいことが1つ増えました。

「どの国も”大同小異だよ」

って、英語で上手く伝えたいです。

ヨーロッパだけではなく、アフリカ、アジア、中東、さまざまなところで、いまだに弾丸やミサイル飛び交う旧式の戦争が起きています。そして、戦争までになっていなくても国家間の争いは絶えません。

その皮一枚の裏側には「お前の国より、俺の国の方が優れてるんだぞ」っていう、腕まくりした主張が深く刻まれているような気が(私には)してなりません。その気持ちもわかります。そんな気分になる時が私にだってあります。

その一方、誰にというわけではないのですが、空気中に、ふんわりと伝えたい。

「そうはいっても、どの国も、そんなに変わらないのではないですかね。大同小異じゃないですか?こいつらは死んでもいいって思えるほど違う人たちが、そこには住んでるんでるんですかね?」って。

同じように思っている人が、どこの国にもいるんじゃないのかな?って私は思っています。

そのような人たちに、「私も同じ気持ちです」と伝えたいし、知らせたい。

これって、もしかしかしら、本当に私のやりたいことかもしれないって、今、思い始めています。