色付きそうめんの由来

今週のお題「そうめん」

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最近は、あまり見かけないですが、以前は、そうめんの箱の中に

赤というかピンクのそうめんが一本、入っていましたよね。

 

夏休み、昼ご飯としてそうめんが出てくると、一本だけ

赤いそうめんが混ざっていたりして。

幼い頃、それを、兄と取り合いしていました。

最終的には、兄が食べ、私が大泣きして終わっちゃうんですけど。

味は変わらないし、それ食ったからって強くなれるわけでもない。

でも、食べたかったんですよね。

なんでだろ。

 

そうめんはポルトガルからの伝来であることはよく知られた話ですが

一本だけ赤いそうめんを加えるというのもそうです。

中世、イベリア半島の南端にガラタニアという村がありました。

その村では、後のそうめんの元となるパスタに似た乾麺を作っていました。

海沿いの村ではあったのですが、窪地のような場所であり、

海側は岩で守られ背後は険しい山であったため小麦の生産に適していたのです。

それまで、そのひっそりとした村の中で生産と消費をし村人は慎ましく

暮らしていたのですが、ある時、ニコラスという村の若者が、

これを外に行商すれば、村が豊かになるのではないかと思いつきます。

当時のヨーロッパは、交易が盛んになっており、ニコラスが、

その乾麺を担いで行商を始めると、麺の美味しさがたちまち評判と

なり飛ぶように売れて行きました。

村が海沿いに面していたため、小麦に少しの塩気が含まれており、それが

その他の麺とは違った味わいを出し、人気となっていたのです。

そして、村とニコラスは、大きな富を手に入れることができました。

 

しかし、一方、その美味しさがあまりに評判になり、ポルトガルはもとより、

スペイン、フランスなどからその地を我が物とせんとする輩が

村を襲いにくるようになってしまいました。

村の背後は険しい山で、その土地への道が限られていたため、

そこを防御するとことで、なんとか村を守り抜いてきた村人たちだった

のですが、いよいよローマからの大群が押し寄せてくることとなった時、

村人は明け渡しを覚悟していました。

その時、初老となっていたニコラスですが、城壁を作ることを思いつきます。

しかし、城壁を作るにも、豊かになったとはいえ、資金がたりませんでした。

そのため、ニコラスは、行商のネットワークを用いてフランスの豪族から、

お金を借りる手筈を整えます。

痛む足をおし、ピレネー山脈を超え、ニコラスは豪族からお金を借りることが

できました。そのお金で、立派な城壁を作り、ローマの大群を追い払うことが

できました。

 

しかし、借りたお金は返さなくてはなりません。

また、ニコラスは利子というものをあまり理解をしていませんでした。

借金は嵩み、乾麺の行商では、とても返せない額になっていました。

困り果てたニコラスが城壁の上から麦畑を眺めていたところ、一部の

麦だけが異常に成長していることに気がつきます。

その場所は、前年にうさぎが死んでおり、そのまま放置された場所だったのです。

ニコラスは、うさぎを肥料とすることで、小麦の生産量が増えるのでは?

と思いつきます。

村人総出で、付近のうさぎを捕らえまくり、殺して、小麦の肥料としました。

すると、小麦が倍以上に収穫でき、借金を返すことができました。

それを繰り返すうち、ある年から、一部、赤い小麦が収穫されるようになりました。

村人たちは、うさぎの血の呪いだと恐れ、うさぎは殺さなくなりましたが、

赤い小麦は、年毎に、場所は変われど収穫され続けました。

村人は、戒めのため、その麦を挽いて赤い麺にし、

一本だけ行商する麺に入れるようになりました。

以来、赤い麺が一本入っていることが、その村の麺である証とされていたのですが、

真似をする別の村や町が現れ、いつしか

「美味しい麺=赤い麺が一本入っている」

ということが定着し、ヨーロッパ全土に広がりました。

一時期は、パスタもそのような赤い麺が入っていたのですが、

時と共に廃れ、それがポルトガルから伝わった日本にだけに残るようになった。

 

というのは、私の全くの作り話ですので、正解はググって調べてください。

 

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