煙草のけむりの中 彼女は「100万円あったらなぁ」といった

今週のお題「100万円あったら」

f:id:KH2018:20180410132848p:plain

 私の学生時代、100万円はもちろん大金でしたけど、10万円ですらリアルじゃない金額でした。例えば20万も100万も同じ大金くらいの感覚だったんですよね。

 

私が大学受験したのは1988年。地方出身の私はご多分に漏れず、都会行けば、シーア、ソイホーでガイナーのレイキーなチャンネー(足が細くて長い美貌の女性)と、ギロッポンでシーメ(六本木で食事)できるものと思い受験勉強に励んでおりました。

 

ところがぎっちょん。受験に失敗した私は、埼玉の三流大学しか合格せず。

「しかし、まぁ、埼玉とは言っても首都圏だし、シャレオツな生活はできるもんだろう」と高を括っていたら、キャンパスは山の中だし、裕福じゃなかった家の家計では古びた6畳一間のアパートが精一杯で。「トレンディドラマの生活とは随分かけ離れていているなぁ」と、なんだか騙されたような気分でいました。

 

周りを見れば、末期とはいえ、当時はバブル景気。吹き抜けのプール付きマンションに住んでいる同級生はいるし、キャンパスにBMWやベンツで乗りつけるやつもいて。「俺はそんな物欲主義とは違うのだ」と斜に構えてはみたもの、どう考えても負け犬の遠吠えでした。まぁ、羨ましかったのですよね。

 

そんな生活をなんとか変えようと、私はバイクを買うことを思いつきました。自動二輪の免許を持っていた私は、BMWやベンツとはいかないまでも、バイクを買えば、なんとかトレンディ生活ができるんじゃないかって、市民プールの園児向け水遊び場くらいの浅い考えで、バイトを始めました。

1989年でした。その年は色々なことがあった年で、年初めに昭和天皇崩御し、天安門事件があり、11月にはベルリンの壁が崩壊しました。いわゆる時代の大きな曲がり角の年だったのですが、そんなことは全く感じてもいなかった私は、フロム・エー(求人情報誌)に出ていたアパート近くのチェーン居酒屋のバイトに応募して、そこで働くことにしました。

 

私は、お金を早く貯めたかったので、深夜勤務のシフトに入っていました。夜9時から深夜2時まで働いて、確か時給が900円だったと思います。当時の私にとっては、割りの良い仕事だったのです。その同じ深夜帯シフトによく入る女の子がいて、一緒に仕事をするようになりました。ですが、特にこれといった会話もすることもなく、私は焼き場、彼女はフロアで黙々と仕事をこなしていました。

 

当時の女の子といえば、ワンレン、ボディコン、肩パットの、すだれ前髪の女子大生というのが定番だったのですが、彼女は、一昔前のヤンキーと言った風情で。脱色した長い髪、真っ赤な口紅、どこで買ったのかわからないようなペナペナのスカジャンに長めのスカートと、話しかけたら頭突きでももらいそうな雰囲気でした。その当時でも未成年の深夜バイトは法律で禁止されていましたが、店長によれば、彼女は高校を中退しているが18歳との話になっていましたが、ほんとのところは怪しかったと思っています。

 

そのバイトにもなれてきた頃、居酒屋のバイト仲間から、バイトが終わった深夜2時から飲もうと誘われました。彼女は、あまり周りと連むことがなかったのですが、なぜか、その飲み会に参加していていました。酒の飲み方も知らなかった私は、その飲み会で調子に乗ってしまい、グデングデンに酔っ払ってしまいました。その後の記憶は曖昧なのですが、午前の遅い時間にアパートで目が覚めると、ベッドの脇で彼女が寝ているのに気が付きました。びっくりして彼女を起こし事情を聞くと、このアパートまで私を連れて来てくれたそうで。その日、私は午後に出欠をとる授業があったため大学に行かねばならず、お礼もそこそこに合鍵渡してポストに入れておいてくれるようにお願いをしておきました。午後の授業が終わり、彼女はいないものと思ったら、まだアパートにいて。私たちは、その日のバイトを入れていなかったので、一緒にラーメン食べ、近くのレンタルビデオ屋で借りたスリーメン&ベビーを見て、それ以来、彼女は私のアパートに居座るようになりました。

 

彼女とは色々話をしました。好きな音楽、映画。これからの夢。これまでの生活。彼女の家は元は事業をやっていて、それなりに裕福だったらしいのですが、事業に失敗。父親は愛人を作ってどこかに行ってしまい、実家は売り払われ、今は母親と暮らしているのだけど、母親は特に何をするわけでもなくアパートにいると言っていました。

 

彼女は、明らかに年下でしたが、気弱な大学生風だった私は、完全に彼女にイニシアティブを取られていました。好きな時にアパート出て行くし、好きな時に戻ってくる。私はタバコを吸いませんが、彼女は部屋の真ん中で、朝起き抜けに必ず吸っていました。今の人は信じられないかもしれませんが、当時、部屋でタバコを吸うのって普通だったんですよね。とは言っても、遠慮があってもよかったような気もしなくもないですけど。

 

私はバイク購入のためにバイトは続けていたものの、余裕のある生活は出来ていませんでしたので、二人のご飯は近くの定食屋かラーメン、もしくはコンビニ弁当でした。今考えると、ちょっと無理してでも、青山か渋谷あたりで食事するなんてことすればよかったのにと思いますが、その時は考えもしませんでした。若かったといえば、それまでですけど、私は何をすれば良いか分かっていませんでしたし、何をしてはいけないかも分かっていませんでした。それでも楽しかったのですよね。私は。彼女がどう思っていたかは分かりませんけど。

 

彼女は、寝起き一番にタバコをふかし、缶コーヒーの空き缶を灰皿にしながら、煙の中で、

「100万円あったらなぁ」

とよく言っていました。

「100万あったら、渋谷か青山あたりでバーを開くつもり」

と言っていました。

素直にかっこいいなと思っていました。私は、当時、何のビジョンも持ち合わせていませんでしたし、バーを開くなんて別の世界の話だと思っていました。今なら、100万円じゃ青山あたりの開業資金には足りないだろうと分かったりするのですが、私達は無知で、なにものでもありませんでした。頑張ればなんとかなるだうという漠然とした希望だけを持っていました。

 

最初は楽しくやっていたように(私は)思うのですが、彼女がバイトにもいかず、部屋に入り浸る様になると少し関係がギクシャクしてきました。自分のことを棚にあげ、バイトして帰ってきても、たまに行く授業から帰ってきても、部屋にいる彼女を疎ましく思うことが多くなってきました。勘のいい彼女は、その私の都合の良い気持ちの変化を敏感に感じていたと思います。そんな雰囲気が部屋中に充満する様になっていた頃、彼女が突然「キャバクラで働こうかと思う」と言い出しました。私はなんとか止めようと、怒り、声を荒げました。そして、私はつい「親の顔がみてみたいわ」と言ってしまいました。すると彼女は黙ってしまい、そのまま、部屋を出ていってしまいました。

 

私は読みかじった本の言葉を丸写しに「職業に貴賎はない」なんて えらそーなことを当時よく言っていましたが、本当のところの気持ちは全く違っていたのでした。キャバクラで働こうが、風俗で働こうが、エグゼクティブだろうが、官僚だろうが、そんなの付け足しであることが私には分かっていませんでした。彼女は、自分の足で立とうとしていました。それに同意の気持ちを表せなかったことは、若さというより、私が全くのダメ人間だったからです。

 

部屋を出て行っても、私はすぐに帰ってくるものと思っていましたが、それ以来、彼女が帰ってくることはありませんでした。一週間後くらいに授業から戻ってみると、部屋から彼女の荷物がなくなっており、ポストに合鍵が入っていました。とはいっても、部屋では私のスウェットを着ていましたので、少しの彼女の着替えと下着類だけがなくなっているだけで、歯ブラシなどはそのままでした。私は、寂しく思ったものの、最低にも少し楽になった気持ちを感じていました。

 

その1ヶ月後くらいだったと思いますが、居酒屋で飲み会をしていた時に、酔った勢いで、私はその話を友人にしてしまいました。すると友人は何気に「よくお金取られなかったなぁ」と呟きました。私は思いもしなかったことを言われてドキッとするとともに、もしもの時のために部屋の押し入れに隠していた10万円の現金が気になってしょうがなくなってきました。私は平然を装ってはいましたが、飲み会が終わると、とにかく急いで部屋に戻り、押し入れの10万円を確認しました。もちろん、手付かずでありました。私は、彼女を信じることができなかったし、彼女がそんなことをするはずがないという私の感覚も信じることができていませんでした。ほんとダメ人間です。

 

私はバイトを続け20万円を手にし、ホンダGB250を買いました。バイク買ったところで、特に何も変わりませんでした。

 

彼女がその後どう過ごしたかは知らないのですが、100万円貯めること出来ていたらいいなと、今も思っています。

 

感想などありましたら、コメント欄かk2h02018@gmail.comまでどうぞ。