「欲望の経済史~日本戦後編」について(1)

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少し前の話ですが、「欲望の経済史~日本戦後編」のシリーズを、eテレでやっていまして、先日、録画していたのを見終わりました。

その番組のNHKのリンクを貼っておきます。

 

NHKドキュメンタリー - シリーズ 欲望の経済史~日本戦後編~1▽焼け跡に残った戦時体制 終戦~50s

 

この「欲望の経済史」シリーズ、題材は地味なのですが、ドラマ性のあることを盛り込み、ちゃんとエンターテイメントになっているし、伝え方もわかりやすく、好感持っています。池上彰さんの番組もいいんだけど、箇条書き的に、「これとこれを覚えておきなさい」といったお勉強的なところが感じ取られて、ちょっと疲れちゃうんですよね。「欲望の経済史」は簡単に結論づけないのが良いと思っています。今回は、戦後とはいっていますが、ちょっと戦前も入った日本の経済史といったところです。

 

おそらく、再放送やると思いますので、内容はそちらを見ていただくとして、自分的に引っ掛かったところをお伝えできればと思っています。

 

この番組、野口悠紀雄さんと坂井豊貴教授との対談を軸に進んで行くのですが、野口悠紀雄さんが主張する、「現在の制度は、1940年体制が基礎になっている」(注:自分の理解です)がポイント・ポイントで出てきます。途中、「それはこじつけなんじゃないの?」って思う部分もなくはなかったのですが、日本の制度は1940年体制ベースになっているという論理には、歴史的にみると、それを裏付けるようなことが多々あり、「ある意味、これに振り回されているのだなぁ」と腹落ちしました。

 

日本独特の制度が、あるときは良い方に働き、ある時には悪い面を後押しするという現代(近代)の経済的事例が、この番組で紹介されています。ある時には、高度成長を後押しし、ある時にはバブルを引き起こし、失われた20年を作り出したというような事です。

 

番組の中では、既存の制度によって起こった事例だけでなく、その制度が崩れたり壊されたりといった事例もいくつかありましたが、それに至った経緯的なものは示されたものの、なぜ、そのようなことが起こったのかといったような一段深い説明めいたものは、この番組ではありませんでした。自分なりに考えたことがあったのですが、長くなりそうなので、それは、別の機会にさせてもらいます。

 

会社における制度についても、同じようなパターンがあって、ある人が、おそらく思いつきで作ったような制度が脈々と続いており、誰もそれを変えられると思っていないか、或いは、そのような枠が付けられているってこと自体に気がついていないような制度多いですよね。それって、大した歴史があるわけじゃなし、いつでも変えられるし、変えたほうが良い方向に進むのだろうけど、誰も変えることができない(変えようとしていない)ような場面て多い気がします。自分みたいな責任感ゼロの立場からすると、「なんで、クソつまらなことで皆んな苦労してんだろ?変えちゃえばいいのに」って思うことありますが、まぁ、変わらないですよね。自分的には、それを実際に変えようとは思わないし(そもそも無理だし、それをやることの自分へのメリットがない)、強く悲観もしていないのですが、そういうことが発生しているのだということは把握しておく必要があると思っています。

 

シリーズの最後に、野口悠紀雄さんが「1940年体制から脱却している部分もある。だが、一方でより強くなっているところがある。それは、国に対する依存だ」とおっしゃられていた。この言葉、強く刺さったなぁ。今の、政治、経済、社会生活を表す言葉として、かなり肝の部分を表現できているじゃないですかね。

 

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