「欲望の経済史~日本戦後編」について(2)

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eテレでやっていました「欲望の経済史~日本戦後編」の感想その2です。

 

この番組で、自分に刺さった部分がありまして、それ、箇条書きにします。

 

  • 現在の日本人の日常生活の原点は、60年代にある。なので、60年代を知らない人でさえ、60年代の映像をみると懐かしい気持ちなる
  • 日本人は先見性がない(長期的視野がない)
  • 高齢者医療の財源の問題の種が、田中角栄時代にばらまかれた
  • オイルショックから日本がいち早く立ち直れたのは、賃上げが他国に比べて、過剰にならなかったから。それは、企業別の労働組合であったから。
  • 金融緩和によって、企業が市場から直接資金調達できるようになった。それで、銀行に金が余るようになり、不動産投資が過剰になった。

 

経済に詳しい人なら当たり前の話なのかもしれませんが、自分にはどれも、「へー。そうなんだ」とかなり納得しました。「オイルショックから立ち直れたのは、日本人が勤勉だったから」とか「xx会社の、xxさんの素晴らしい活躍によって、高度成長があったのだ」といったようなクソみたいな説明に比べたら、ほんと、スパッと事実を切り取っているような爽快さがあります。

 

番組では、「現在の制度は、1940年体制が基礎になっている」という野口悠紀雄さんの主張をベースに組み立てられていたように見受けられたのですが、その制度が崩されるケースもいくつかありました。例えば、バブル末期、それまで護送船団方式であった金融機関が、これまでの通例を覆し、山一証券に代表されるように、潰されて行きました。もう、そうせざるを得ないという状況ではあったのでしょうが、そうせざるを得ない状況でもそうしないという選択を取ることも多かった我が国の政府のことを考えると、その理由も的を得てないような気がしています。

 

自分が考えるに、一つの大きな理由は、感情にあったのではないではないかと思っています。山一などを廃業させたのは、「あいつらだけ、いいおもいをしやがって」という怨念めいた感情に突き動かされて「潰してしまえ」ということになったような気がしています。農地改革は、GHQによって進められたということになっているようですが、番組内では、官僚がそれを利用して進めたのではないか?ということも説明されていました。当時、共産主義が華やかしりころで、それを墓標した官僚が、ある意味、ユートピアを目指して農地改革を進めて行ったのではないかということが語られていました。つまり、キーは感情なのであって、それが必要なことなのかどうかは次の問題な気がしています。何か大きなことを行うには、この感情部分のコントールが必要なのではないかと感んじました。

 

番組でも触れられていましたが、「フラット化する世界」とは逆方向に、今は向かっているように感じられます。どうやらこれを止めることはできなさそうな雰囲気です。それに抗うのは人の自由ですが、それより、その世界でどのように生きるかが私は問題となってくるのだと思っています。

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