新生活に必須なもの一選
今週のお題「買いそろえたもの」
途に倒れて だれかの名を 呼び続けたことが ありますか?
私はありません。
何もない4畳半のアパートで 凍えながら毛布一つで寝たことはありますか?
私はあります。
あれは、私が大学入学のために埼玉に越してきた時のことでした。
両親は、大学近くの不動産屋で現物見ながら決めた方が良いと言っていたのですが、当時、バンカラを気取っていた私は「住むところなどどうでもいいのだ」と見栄を切って、大学生協が送ってきた最も安い物件を手紙のやりとり一つで決めてしまいました。
若さとは馬鹿さとも言える。
引っ越しは、入学式の二日前に行いました。
新幹線と電車を乗り継いで最寄り駅につき、地図(Google Mapsがない時代ですから)を片手に私が住むことになるアパートを探しました。物件は、この時が初見で、写真ですら見たことはありませんでした。
探し当てたアパートは、絵に描いたようなオンボロアパート。
当時はバブル絶頂期。燃費なんてものは全く気にしにない高級車がバンバン走り、子供どころか赤ちゃんまでがブランド物の服を着て、海外の観光地は日本人だらけというハリボテの上に銀紙を貼り付けたような気狂いじみた時代でした。
そんな時代にボロアパートに住むなんて時代錯誤的であったのですが、私は、物件を見てがっかりするどころか喜んでいました。というのも、その当時、私は学生運動に関する本を読んで感化され、貧乏生活に憧れていたのです。
若さとは馬鹿さとも言える。
近くに住んでいる大家さんから鍵をもらい入ってみると、四畳半一間に小さなキッチンというより手洗い場だけの部屋。バス・トイレは共同でした。
「おぉ、これぞ我が学生生活に相応しい部屋だ」
と悦に浸って、4畳半間に大の字に寝転がっていましたが、夕方になっても引っ越し荷物が届きません。
不安になって、手元にあった運送会社の電話番号に公衆電話(当時は携帯電話というものがありませんでした)から電話すると「手違いで、まだ名古屋の倉庫にあり、明日、届く」とのこと。今なら怒鳴りつけて、その日中に持って来させるところですが、若さっていうのは無知なもので「あぁ、そうか。仕方ないな」と、私は運送会社の説明に納得してしまいました。
「さて、どうしようと」と考えながら、部屋の押し入れを開けたところ、一枚の毛布が出てきました。おそらく、前の住人が残していたものだったのでしょう。それを被って、その一夜は過ごすことにしました。
今にして思えば、近くに住む大家さんにでも相談して布団などを貸してもらうなりのことをすればよかったのですが、そういったことすら頭になく、単に我慢するっていう、なんのアイデアも捻りもない行動をとってしまいました。
4月2日だというのに、外はチラチラ雪が降っていて、
「東京(実際は埼玉)って、案外、寒いところなんだな」
と、初めて関東に住むことになった私は震えながら毛布にくるまって考えていました。なんとか寝ようとしたのですが、自分がマッチ売りの少女になったような気分で、近くでイルカが「なごり雪」を歌っているようでもあり、かなりしんどい状況でした。なんとかやり過ごせましたが、低体温症とかで死ななくてよかった。
4月の東京に雪が降るなんて、その年が特別だったんだと3年後くらいに気がつくのですが、それも無知のなせる技。
若さとは馬鹿さと体力とも言える。
次の日には荷物が無事届き、翌日の入学式にも間に合って、波乱ぶくみの学生生活がまずはスタートしました。
ここで、私から、新生活をスタートされる方への大切なアドバイスを。
「引越しの時には、布団の確保をお忘れなく。最悪、それさえあれば当面大丈夫ですが、ミスったら地獄をみます。本当に」
そういえば、この引越しの布団、衣類、当面の食料の用意は、母がしてくれたのですが、この準備の最中、母は泣いていました。一方、私は、新生活を始めるってことで浮かれまくっていました。今なら、母のそのときの気持ち、痛いほどよくわかるのですが、私は湿っぽくされるのがいやで、泣いている姿をみて見ぬふりをし、逆に明るく振る舞ってしまいました。
言い訳は色々できます。「最後の別れじゃないんだし」「電話もできるし」「親子だから言わなくてもわかるでしょ」とか。でも、ちゃんと「ありがとう」をいうべきでした。
これを若さといえば聞こえはいいですが、この歳になると、やるべきことをやらなかったツケの請求書がどこからともなく回ってきて、今頃になって支払っているように感じる時が多々あります。
その母も昨年、鬼籍に入りました。
あの時のことを懐かしく語り合うことも今やできません。
せいぜい、今いる別の世界で母が暖かくしていればいいけどな、と思うくらいです。
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