スポーツも仕事も詰まるところ人間性と、小さな声で言いたい
今週のお題「好きなスポーツ」
オジサンは仕事をスポーツに例えて語りたがりますよね。オジサンだから例えるのか、例えるからオジサンなのかは永遠の謎、ってほどじゃないけど、まぁ、やりますよね。
「仕事はチームワークだ」
くらいは、まぁ、納得できますよ。これは許そう。そうだと思うし、言わんとしてるこことはわかる。これくらいは私も言っているかも。
「XX君は、ストレート一本槍だからなぁ。カーブ覚えなきゃ。」
は、以前に私が上司から言われた言葉。もう、結構やばくなっている感じがしますが、まぁ、わかる。私も変化しなきゃいけないしね。反論したい心を押さえ、ぐっと我慢よ。
それが、
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
なんて言い出したら、いよいよ末期症状だなと思いますが、”昨日、野村克也氏の本を読んじゃったかな?”と、ある意味、微笑ましく見て、受け流せなくもない。
だが、
「XX選手。チラッとリリーフ頼むよ」
って言われても、わたしゃ、サラーマンでスポーツ選手じゃないし。”チラッと”は”チラッと”であった試しはなく、大概が、ボーボーと火が立ち上っている案件に放り込まれ、しばしシャバとはお別れとなる前兆で、聞こえないふりしたくなる言葉です。
そんなオジサン達に味方するわけじゃ無いけど、スポーツと仕事の相似性はあるような気が私もします。
んで、最近思うのは、
「結局、最後は人間性」
って話です。しかし、これは小さな声で言いたい。大きな声で言うほどのことじゃないし、それは多くの人にとってどうでもいいことだと思いますし。それを殊更大事なことのようにいう人間なんて、ろくなもんじゃ無いし。そんな奴が増えたら、間違った方向性に向かうことは明らかですからね。だけど、真理はついていると思います(小声)
ガツガツ、ゴリゴリ、人を押しのけ、ライバルを蹴散らして、わが我がで行かないと、行けるところまで行けないって場面は、そこいらじゅうにあると思います。そんな、綺麗事だけじゃねぇ、ってことはあります。それはオジサンたちだって言ってます。
ですが、一方で、最後の最後、コロっと運が味方するのって、結局、人間性の問題のところが大きいような気が最近しています。常日頃、ゴミ拾いしろってな話じゃないんですけど、なんというか、人に好かれるような人って、不思議と最後の運を掴んじゃう気がするんですよね。それは、スポーツでも仕事でも。
そう認識を強くしたのが、今回のオリンピック。
前評判は良かったけど、スキャンダルやら何やら色々あった人って、結局、ダメだった印象なんですよね。水泳のあの人とか、バドミントンのあの人とかね。いや、わかりますよ。オリンピックに出るだけで大したもんで、何もできていない人間が言うことじゃ無いってことは大前提にあった上でなんですけど。やっぱりね。スキャンダル起こしても、成果上げたって人、今回は卓球の水谷選手だけだったんじゃないですかね。
開幕前に色々ごたごたがありましたが、あれも結局は過去のツケを今になって払わされたってことのように見えましたよね。最後は魔女狩りのようになった感はありますが、外野がいう言葉の強さと汚なさを含めて色々な人の人間性が見える形となっていて、東京オリンピックを象徴していたような気がします。
日本人が金メダル取ったら嬉しいし、アスリートが頑張っている姿ってやっぱり良いねってことはもちろん大前提なんですが、なんか、素直になれない、違和感が残るオリンピックだったなぁという印象です。
それの主な原因は、
- IOC, 組織委員会, 日本政府, 東京都の牽制合戦
- 責任分散型のスキーム
- 誰も「やる」とも「やらない」とも言わず ぬるっと開幕
- 「実施はするが無観客」というバランスだけを考えた着地点
- 開催前は「中止だ」と騒いでいたが、開催されたら「オリンピック万歳」って言っているタレント軍団
- 日本おもてなし素晴らしいでしょ合唱団
- 金メダル取りました競走の報道
- 海外の冷ややかな反応
あたりだと思っています。心躍るオリンピックというのは、最早できないのでしょうね。
「じゃ、お前は東京オリンピックやらない方がよかったというのか?」なんて、目をつりあげ言う人もいそうですが、正直言って、私にとってはどっちでも良かった。柔道のチケットは当たっていましたが、行ければ行ったし、結局は無観客になりましたが、だからといって怒る気もありませんでした。オリンピックが開催されようが、開催されまいが、多分、私の人生において大して意味のあるものでは無いですからね。私がティーンの多感な時期の子だったら話は違うかもしれませんが、もうね、どっぷりオジサンですからね。どう転んだところで、それに対応するだけだし、仮に何か意見をもったところで何の影響も与えられ無いことも十分承知の介ですよ。
じゃ「昔はよかった」なんていうつもりもなくて。昔は昔で色んな問題ありましたよ。東西冷戦の縮図がオリンピックにそのまま反映されていたり、プロが出るだの出ないなどで大揉めに揉めたり、まぁ、さまざまあったわけです。だけど、それが建前であったにしろ「アマチュア・スボーツの最大の祭典」であったり「政治利用しない」などの理念は共有されていた雰囲気がありましたが、今や、その建前すら無くなりましたよね。もう、オリンピックってものの人間性みたいなものが失われ、ただの商品やパーツになったみたいに感じます。
インターネット的、SNS的なセグメント化が進んだ この世界では、大多数の人が喜ぶようなスポーツイベントなんて無理なのかもしれません。一方、仕事でも、なんでだか仕事が集まってくる人っていて。見ていると、いわゆる「出来るひと」だったり「MBA持ってます」って人でもなかったりすんですよね。一言で表すと「人間性が良い」のようなザックリとした言い方が適切な気がします。最後のピースはそこなんじゃ無いかって気がします。
それとね。ちょっと言いたいのは、なんでTVは、揃いも揃って、オリンピックが終わったら、メダリストに芸人みたいなことをやらせようとするんですかね。申し合わせているのかってくらい。彼らにお金が落ちれば、それでいいかもしれませんが、何か大きな力でも働いているのでしょうか?それとも、同じ人が作ってるの?それくらい、全部一緒。むしろ、裏はって、例えばメダル取れなかったアスリートに注目して、それを追っかけた方が見応えあると思うけどななぁ。私なら、そっち見みますよって小さな声で言いたい。
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